浅草の浅草寺や上野動物園、アメ横、かっぱ橋道具街など、東京都台東区にはインバウンド客に人気の観光スポットがひしめき合っています。平成30年度の統計によると、台東区の年間観光客数は5,583万人で、そのうち外国人観光客数は953万人です。右肩上がりにインバウンド客が増加する同区では、特に東南アジアからの観光客が増え始めた2015年からムスリム対応に関する取り組みが進められてきました。今回はその先進事例を詳しくご紹介します。
(※本記事は、2019年度に取材されたものです。)
台東区はムスリムフレンドリーな街として知られている
東南アジアからの観光客増で、ムスリム旅行者の受け入れ環境整備を開始
東南アジア10カ国から成るASEANのビザの緩和が始まった2015年頃より、東南アジアからの訪日旅行者は年々増加しています。東南アジアでは約4割がイスラム教徒と言われていますが、台東区を訪れる外国人観光客のうち、およそ14%が東南アジアからの旅行者です。台東区では以前から、外国人の受け入れ講座を年に数回開催していましたが、ある時、東南アジアの集客講座を開いたところ、驚くほどたくさんの人が集まったそうです。住民や事業者の関心の高さも伺えたことから、同区では2015年から本格的にムスリム旅行者に特化した受入促進事業を始めました。
台東区役所文化産業観光部観光課の宮澤さんは当時の状況について次のように語ります。「その頃、台東区には東南アジアからの観光客が増えてきて、世の中でも“ハラール(イスラム教の戒律によって食べることが許されている食材や料理)”という言葉がどんどん出始めてきました。マーケットのニーズが高まってきたこともあり、ムスリム対応の事業が立ち上がりました」。
ハラールマップの作成など、4種類の事業を展開
台東区では、以下、4本の柱でムスリムの受け入れ事業を展開しています。
①飲食店に対するハラール認証取得の助成
これは、ハラール認証取得促進のために、認証取得費用の1/2(上限10万円)を区が助成するというものです。
ハラール認証を申請する際の前提として、そもそもお店で豚肉を扱うことができませんが、その上でハラール以外の料理も扱うようであれば、ハラールとして提供する料理を作る際に包丁やまな板を使い分けることなどが必要となります。さらに、料理をする場所が分かれているか、アルコールを使うコップと使わないコップが混在しないようにシールで色分けされているかなどを認証機関がチェックする他、原材料に何を使用しているかがわかるように製品規格書を提出することも求められるなど認証取得に係るチェック項目も多いため、お店での現場監査の際は、区役所の職員も立ち会い、別の事業者が興味を持った時にアドバイスできるようにしているそうです。
認証機関としてはジャパン・ハラール・ファンデーションや、日本イスラーム文化センター、日本アジアハラール協会などがあります。区の助成を活用しハラール認証を取得したことで、ムスリム旅行者の来店が増加し、肉の仕入れが以前より2.5倍になったお店もあるそうです。
②ムスリムマップの作成・配布
ムスリムマップには、認証を得たお店などが掲載されます。現在このマップに掲載されているお店は30件以上。飲食店のほか、和菓子や飴、せんべいのお店なども含まれ、宿泊施設も加わりました。
上野・谷中エリア、浅草エリアに分けて紹介している
③SNSでの情報発信
Facebookを英語、中国語(繁体)、韓国語、タイ語、ベトナム語のみならず、ムスリムの多いインドネシア語でも展開し、インバウンド客に向けて有益な情報を発信しています。
タビナカでも情報収集しやすいように、スマホでの利便性も高めている
④ムスリム受け入れ講座の開催
ムスリム受け入れ講座は年に3回開催。受け入れにはどのような準備が必要か、手続き方法などを説明します。ムスリム対応をスタートさせることに関心のある事業者の方が参加しています。また、最近はベジタリアンやヴィーガン対応にも拡げています。
毎回多くの事業者が参加するムスリム受け入れ講座
チャンスを逃さないことはもちろん、何よりも楽しく旅行してもらうことが重要
前述の通り、平成30年度の台東区のインバウンド客数は953万人で前年と比較して14.8%増加しています。ムスリム対応を推進することの意義について、台東区役所の宮澤さんは次のように語ります。
「例えばムスリムの観光客が台東区に来た時に、家族4人でランチを食べるとしたら6、7千円程度は使っていただけるでしょう。けれど、もしハラール対応のお店がなければ自分たちであらかじめ持ってきた食料を食べて終わってしまうのです。台東区にはハラール対応のお店がこれだけあるということを知っていただければ、機会損失が減り、地域経済の活性化につながります。そして何より、旅行者に対するホスピタリティーという点で意義があると思います。せっかく台東区に来ていただいたからには、安心して、楽しんで帰っていただきたいですね」。
最近では台東区は認証を取得したハラール対応のお店が多いことが上記のSNS効果やムスリム・コミュニティーの口コミで広がり、全く別のエリアに泊まっている観光客が、わざわざ足を運んで食事をしに来ることもあるそうです。
ハラール対応を進める上で、気をつける点は?
ハラール対応に取り組もうとしている自治体や事業者は、どういった点に気をつけるべきなのか、宮澤さんに伺いました。「一番やってはいけないことは、中途半端な情報を伝えることです。豚肉の代わりに牛肉や鶏肉を使っているとしても、規則に沿った処理をしていない肉はハラールではありません。日本でハラールではない肉を食べてしまい、後から気づいて現地のモスクに駆け込んだり、泣きついたりする人もいるそうです。台東区としてはこうしたことがないように、認証機関が認証した店をマップに掲載しています」。
とはいえ、これは飲食店が多い台東区の例であり、地域によって認証を取得した店だけで厳選するとマップに載せるお店が限られてしまう場合もあるでしょう。そうした場合には、認証の有無で線引きをするのではなく、全ての原材料を表示するといった情報開示がきちんとなされているお店であれば、掲載するという手段もあります。
他地域へも広がりを見せるムスリム対応
台東区の取り組みは、他地域へも広がりを見せています。浅草から日光への直通列車を走らせる東武鉄道は、2018年より日光・鬼怒川エリアの自治体とも連携してムスリム旅行者の受け入れ環境整備を開始しました。また、台東区は総武線でつながっている千葉市とも協力し、双方のハラールマップの設置を行うなど、相互プロモーションを実施しています。これらの動きにより日光・鬼怒川エリアや千葉市へも、ムスリムの方々が訪れマップに掲載された店舗を利用し始めています。
また、2019年に千葉市で開催された「マレーシア留学生スポーツ大会」には、千葉市と共にブースを出展。参加している留学生に、千葉市と台東区がムスリム対応に積極的に取り組んでいることを知ってもらい、母国にもエリアの魅力を発信してもらおうという狙いがありました。
マレーシア留学生スポーツ大会における千葉市観光プロモーション課、
台東区観光課、マレーシア留学生の集合写真。中央に駐日マレーシア大使の姿も
自治体単位では実現できないことも、複数の自治体や機関が連携し合うことで新たな展開が生まれることもあります。ムスリムをはじめとするインバウンド誘致では、官民問わず外部との繋がりを持つことで相乗効果が生まれ、取り組みがより効果的になるのではないでしょうか。