事例紹介

千年後へつなぐ 阿蘇市のハイエンドな観光地づくりへの挑戦

 人はなぜ旅をするのか。人は旅先で、何を求めるのか。観光に関する仕事の魅力的な点は、この答えが時代の流れや傾向によりコンスタントに変化し、そのトレンドに合わせた観光地域づくりに何らかの形で携わることができることかもしれない。近年、世界の国や地域では、quality over quantity(量より質)を観光に取り入れる動きが急速に進んでいる。その中でも特に、現在の観光における重要な要素として、以下の2点が挙げられる。

  ・サステナブルツーリズム

  ・高付加価値化

 本記事においては、サステナブルツーリズムを「訪問客、業界、環境および訪問客を受け入れるコミュニティーのニーズに対応しつつ、現在および将来の経済、社会、環境への影響を十分に考慮する観光1)」と定義し、地域の様々な要素が密接に関係することで成り立つツーリズムとして紹介する。そして、単なるラグジュアリーツーリズムではなく、訪問客自身や地球環境、訪問地にとっての価値を求める新たな観光のカタチとして、高付加価値旅行(訪日旅行1回あたりの総消費額が1人100万円以上の旅行2))の重要性を、サステナブルツーリズムと掛け合わせて言及する。

 今回、この二大要素と既存の地域資源を巧みに活用し、日本有数の「持続可能な地域づくり」とインバウンド誘致に成功した熊本県阿蘇市を取材させていただいた。

 

雲海に沈む街「阿蘇」へ

 

阿蘇の草原と「あか牛」

 

 阿蘇くまもと空港に降り立ち、向かった先は阿蘇市。電車の中で様々な言語が飛び交う間、車窓からは、阿蘇の名物「あか牛」と、世界最大級とも言われるカルデラを抱く阿蘇山が出迎えてくれた。山というと、本州でよく目にする深緑色の山を想像するものだが、阿蘇では所々黄緑色掛かった「草原」によって、その景観が保たれた山々が目立った。この「草原」に隠されたストーリーを探るべく、日本一の草原面積を誇る阿蘇の秘密に迫る。

 今回取材を依頼した阿蘇市経済部まちづくり課の石松氏の案内で、まずは中岳火口や草千里ヶ浜などが在る阿蘇山上エリアへ向かい登っていく。この道中でもやはり、至る所で「あか牛」が目に留まる。

 

「これでも数は減っているんですよ。」

 

 石松氏は言う。昭和45年頃は、「あか牛」の飼養戸数が約8,000件であったため、放牧されていた牛の頭数も多かったようだが、平成30年になると飼養戸数は700件に満たないまでに減ってしまったそう。これは、農家の高齢化や後継者不足が原因で放牧される牛の頭数の激減、それに伴い「放牧」「採草」「野焼き」といった一連の草原に関する維持・管理が困難となってしまい、最終的に草原面積の減少に繋がったのだ。

 

            このままでは千年以上守り続けてきた草原が無くなってしまう。

 

 そう考えた石松氏は、草原を管理する牧野組合や地域住民、関係事業者と連携し、地域資源を守るべく様々な取り組みを始めた。結果としてそれが、現在の阿蘇市ならではの「サステナブルな施策」に繋がることとなる。

 

世界が認める草原になるまで

 なかでも、サステナブルな観光・まちづくりの歯車となったのが、観光の側面から地域資源や環境を守ることを目的とした取り組みである。草原は地元の牧野組合が管理しており、普段は自由に立ち入れない場所だが、組合から特別な許可を得ることで、草原でのアクティビティを観光客に提供しているのだ。ここでカギとなるのがアクティビティの体験料の一部を草原保全料として還元するという仕組みである。さらに、草原をフィールドとして活用したE-MTB(電動アシストマウンテンバイク)やトレッキング、乗馬などのアクティビティの販売により、事業者の売上やガイドの収入増など多くの経済効果が生まれている。このような自然をテーマとしたアクティビティは、多くのインバウンド客が飛びつきたくなるコンテンツなのだ。

 

阿蘇の草原での乗馬体験

 

「皆さん、アクティビティを目的として来られるというより、阿蘇を目指して来られるんですよ。それだけ阿蘇に魅力があるんです。」

 

 そう話すのは、株式会社 阿蘇ネイチャーランドの代表取締役・坂田氏。背後には大観峰が聳え立ち、そこからパラグライダーが2機飛んでいる。現在、熱気球やパラグライダーをはじめとするアクティビティを販売しており、国内観光客はもちろん、本州からの修学旅行生やFIT(海外の個人旅行客)からも人気のコンテンツだそう。あのような広大な阿蘇の草原を見下ろしながら空を飛べるなど、滅多に得られない体験だ。

 ここで、サステナブルツーリズムを語るうえで、アドベンチャーツーリズムが欠かせない要素であることを強調したい。というのも、特定の地方でしか体験できないアクティビティを盛り込み、「限定感・特別感」を与え、高付加価値として提供することで、観光客はより一層コンテンツの魅力を感じることができるのだ。これは阿蘇市に限った話ではなく、多様な自然資源に恵まれた日本が持つ特権であり、観光に活かさない手はないだろう。

 

 次に向かったのは、木造建築が並ぶ阿蘇草原保全活動センター。公益財団法人阿蘇グリーンストックの専務理事・増井氏は草原の保全活動に関する多言語のパネルや実際に使用する器具が展示された館内を案内してくれた。

 

「観光と周辺の自然環境との間で、好循環を作っていくことが大事なんです。」

 

 森林化を防ぎ、新芽の発芽を促進するなど草原を守るうえで欠かせない要素となる「野焼き」。もともと、野焼き→採草→牛馬の放牧というサイクルで守られてきた草原だが、この20年で草原の「守り人」と呼ばれる「野焼き」を行う地域住民が2,000人以上減少してしまったという。減少してしまったマンパワーを補うため、増井氏は熊本県内のみならず県外からも野焼き支援ボランティアを集め、取りまとめるなど保全活動に携わっているのだ。

 他にも、教育旅行を通して子どもたちを対象とした野焼き体験から、新たな草原保全の担い手や資金を確保するために生まれた「阿蘇草原応援企業サポーター認証制度」の設立まで、多くの人を巻き込み保全活動に取り組んでいる。

 

「野焼き」の様子を映した展示パネル

 

今、改革のとき

 石松氏が本格的に「まちづくり」に取り組み始めたのは、平成16年。当時はサステナブルツーリズムの基盤づくりなどを意識して取り組んでいたわけではない、と石松氏は語る。では一体、何が現在の阿蘇を形成する契機となったのか。

 アンケート調査3)によると、「この先10年以上野焼きを継続できる」と答えた牧野組合は全体の約1/4にとどまるそう。そのような中で、石松氏の「阿蘇を守りたい」という一心が、状況を一変させる。阿蘇の自然と人々の繋がりにより生まれた有形・無形の地域資源を、「サテライト」として保全活用することを目的とした「NPO法人ASO田園空間博物館」の設立である。当初開催した準備会のシンポジウムや部会ごとに開催される協議に、事務局であった石松氏は毎晩のように参画するなど、地域おこしの前線に立ち、地域住民や事業者を巻き込んでいった。今では、ASO田園空間博物館は道の駅阿蘇の指定管理者としての基盤を活かし、牧野ガイド事業やインバウンド誘致事業をはじめとする阿蘇市の地域づくりから、特産品の展示販売、観光案内/情報発信、そして施設の維持管理など幅広い分野で事業展開するなど、阿蘇の観光を語るうえで欠かせない要素となっている。

 ここまで大規模な事業を自走させるに至るまで、石松氏のどのような奮励努力があったかは計り知れない。

 

阿蘇中岳火口

 

「あなたも草原の守り人」

 まちづくりの見直しを経て、4・5年前から本格的に取り組み始めたサステナブルツーリズム。以前はアジア圏からのインバウンド客が主であったが、現在ではサステナブルツーリズムを目的とした欧米豪のツアー参加者数が右肩上がりとなっている。

 ツアーは阿蘇草原保全活動センターからスタートし、一通り阿蘇の草原に関するサイクルと取り組みを学んだうえで、現地見学やアクティビティ体験を楽しんでもらう。その際、「あなたも草原の守り人」をキャッチフレーズに、観光客の自主性を尊重しながら、直接的・間接的に草原の保全にも協力いただく呼びかけを行っているそうだ。

 サステナブルツーリズムでは、その地域の背景や「ストーリー」を理解したうえで参加しないと意味がない。サステナブルツーリズムは環境に配慮した観光(いわゆるエコツーリズム)と誤解されることがあるが、実は前者では社会・経済・環境の三大要素が互いに密接に関わっている。ただ単にツアーを楽しんでもらうのではなく、その地域の課題は何なのか?自然に触れ、体験アクティビティを楽しむことでどのように地域や住民に還元されるのか?という疑問を持ってもらい、その答えをツアー内で発見してもらうことが、旅を提供する自治体側にとって重要なことなのだ。

 

 

 サステナブルツーリズムを語るうえでもう一つ忘れてはならない要素は、「高付加価値化」だ。石松氏は、「サステナブルであることが高付加価値の条件の一つになる」と言う。自然環境や地域社会、歴史文化を少人数でじっくり体感することや、訪問客自身もそれらの保全・承継等に貢献することを高付加価値と認識して初めて、真のサステナブルツーリズムと言えるのではないだろうか。

 特に阿蘇市の内牧温泉周辺は「高付加価値化」を目指した取り組みが成功した良い例だ。補助事業を活用し、宿泊施設を改修することで宿泊単価を倍に設定。すると、宿泊客数は減少したものの、国内外のラグジュアリー層の予約が増加したため、売り上げが増え、かつ以前より少人数での業務が可能になるなど、業務プロセスが改善されたという。

 もう一つは、以前はシャッター街となりつつあった門前町商店街だ。事業者間での呼びかけにより、全店舗が、黒く塗装された木材に白字で書かれた看板に統一し高級感を演出し、商店の景観をモダン風に改修するなど、自力での復活を遂げた。その結果、昔は隣接する阿蘇神社への参拝者が多かったエリア一体が、今では商店のカフェなどを目的として来訪する観光客が増え活気が溢れている。このようにサステナブルツーリズムに取り組むことで、経済的効果のみならず、旅行需要の平準化にも繋がるのだ。

 また、このエリアでは地下水が湧いており、至る所に「水基」と呼ばれる湧き水汲み場がある。これは、カルデラ中央にある中岳などの火山群に降った雨が地下を流れてきたもので、この水を使った料理や飲み物を通してまちづくりに活用されている。やはり阿蘇の自然とまち/観光地づくりは切っても切れない車の両輪関係にあるのだと実感させられる。

 

阿蘇の湧き水と阿蘇山

 

おわりに

 本記事を通して最も伝えたいことは、インバウンド客誘致のための戦略として、ただ単に「海外の観光客を呼び込む」ことを目的とするのではなく、まちづくりから見直すことも一つの選択肢であるということだ。世界の観光トレンドにおいて、サステナブルツーリズムへの関心が高まる中、自治体は地域資源を高付加価値化し、観光客にとってかけがえのない旅を提供することが求められる。欧米豪をはじめとする国々(特にヨーロッパではスタンダードとなっている)では、サステナブル思考が高く、量より質に重きを置いた特別な体験を求めて遥々やって来る。しかし、日本はまだ、これらの国々と比較するとサステナブルに対する意識は低く、サステナブルツーリズムの構築に取り組んでいる地域は決して多いとは言えない。そもそも、どこから始めたら良いのか分からないという自治体も多いのではないだろうか。

 高付加価値のある観光地づくりを進めるにあたってカギとなるのが、「ストーリー」「本物」「限定感・特別感」「デザイン」「品揃え」「箔をつける」「寄付・地域還元」の7つであると、やまとごころ代表取締役社長・村山氏は言う4)。阿蘇エリアが日本を代表する「高付加価値なインバウンド観光地づくり」のモデル地域に抜擢された背景には、これらの要素を上手く取り入れ、官民一体となったまちづくりに励んだ結果と言えるだろう。最初のステップとして、まずはその地域にどんな地域資源があるのかを把握し、これらの要素との結びつきを分析してみることで、その地ならではのストーリーが生まれるかもしれない。

 

「とにかく仕事を楽しむこと。」

 

 石松氏に、これまでの原動力は何かと尋ねた際、返ってきた一言だ。阿蘇市がサステナブルツーリズムを自走させていく体制を構築することができた背景の根本には、地域の中心となり、まちづくりや観光に携わってきた石松氏の存在が大きいのではないだろうか。取材を進めていく中で、観光関連組織や事業者を訪問すると、地域の方々は皆、石松氏に集まるようにして会話を始める。長年築き上げてきた信頼関係により人が人を呼び、地域が一体となりまちづくりに取り組む。これが結果として観光に結び付き、地域が豊かになるというサーキュラーエコノミーの仕組みが生まれるのだ。

 もともとは「互いの文化を尊重し合う」という風土を持つ、ヨーロッパで始まったサステナブルツーリズム。今後日本でもさらに浸透していくと期待されており、観光庁などの関連機関でも推進の動きが広がっている。これまで「数」を追い求めてきた観光戦略から、「質」を重視したエシカル消費を通して、持続可能な社会を実現する「サステナブルツーリズム」へとシフトすべき時なのかもしれない。

 

(経済交流課 山田)

 


 

引用

 

1) 国連世界観光機関 (UNWTO)駐日事務所.  “持続可能な観光の定義”.  国連世界観光機関 (UNWTO). https://unwto-ap.org/why/tourism-definition/, (参照 2023-08-15)

2) 日本政府観光局 (JNTO).  “インバウンドの大きな潮流「高付加価値旅行者」を掴もう”.  日本政府観光局 (JNTO).  2023-03.  https://www.jnto.go.jp/projects/regional-support/resources/3808.html, (参照 2023-08-15)

3) 熊本県地域振興課 県北・天草班. 「阿蘇草原応援企業サポーター認証制度のご案内」(パンフレット).  pg. 1

4) 村山慶輔著.  観光再生 サステナブルな地域をつくる28のキーワード.  プレジデント社.  2020.  pg. 210.

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