事例紹介

高知県北川村ゆずの海外販路開拓の取り組み

かつて日本一のゆず産地であった北川村は、平成のはじめ頃から近隣の産地の生産拡大に伴い1位の座を譲ることとなりました。このため、「ゆず王国」復活に向けて増産増量に取り組みながらも高齢化が進み加工用ゆずの割合が増加する中で、村が販路を求めたのは海外でした。

 

EU加盟国向けかんきつ輸出登録園地

 

■なぜ海外を販路に選んだのか

他産地に日本一の座を譲ったとはいえ決して生産量が落ちたわけではなく、人口減の中でも生産量は増えていました。2009年から「ゆず王国」復活に向けて村が取り組む中で、全国的にも増産傾向にある状況から、今後国内需要に対しては生産過剰となる時期が必ず来ると考えました。その時に国内での値崩れを防止し、かつ北川村が販売面で他産地をリードできるよう、海外に販路を求めていきます。

しかしその矢先、2009年産ゆずは全国的に大豊作となり、またこれまでの強気の販売戦略が裏目に出て北川村のゆずは売れ残り、価格も暴落したことで海外への販路開拓が急務となり、官民連携による活動を活発化していきます。

 

■フランスでの販路開拓

それまではアメリカ等に年間10t程度のゆず果汁を輸出していましたが、ここで村がメインターゲットに位置付けたのがフランスでした。フランスではゆずの需要が高まりつつあり、また食文化の世界的な情報発信地であることから、ヨーロッパ、そこから世界へとゆずを広げていくためには最適な国だと考えました。偶然にも、北川村にはフランスの画家クロード・モネがフランス・ジヴェルニーに築いた庭を再現し、世界で唯一「モネの庭」を名乗ることが許された観光施設「北川村モネの庭マルモッタン」があり、

                 パリで行われたゆず賞味会

フランスと人的・文化交流が長年培われていることも理由となりました。

しかし、海外で販路を開拓していくためには人口1,300人の小さな村だけではとても難しく、県に支援を求めます。そこで県とともに取り組んだのが、フランスで爆発的にゆずが広がるきっかけとなった「高知県産ゆず賞味会」でした。2011年6月に開催した賞味会では、2つ星レストランの「サンドランス」を貸し切って地元のシェフやマスコミ関係者等約140人を招待し、ゆずの特徴を熟知している熊谷喜八氏とサンドランスの料理長が北川村産ゆずを使用したレシピを考案して腕を振るいました。

 

 

賞味会でフランスのシェフ等から高い評価を得た北川村産ゆずですが、そこで起こったのは思わぬ反応でした。ゆず果汁や果皮の販路を開拓するために開催した賞味会で多くのシェフから要望があったのは、生のゆず玉でした。しかし当時はまだ、日本とEU間でかんきつ類の輸出検疫条件が定まっておらず、青果ゆずを輸出することができなかったのです。

フランス側の要望を受け、生産者・企業・県・村等、すべての関係者が青果輸出に向けて動き始めました。国内の同じような事例を参考に、輸出が可能な園地の選定やEUの残留農薬基準をクリアできる栽培方法の検討に取り組み、国レベルでの調整等を経て、賞味会からわずか8ヶ月後の2012年2月、日本とEU間で「EU加盟国向け日本産かんきつ生果実の輸出検疫条件」が定められました。

              SIAL2012への青果ゆず出展

同年10月、フランスで開催された食品見本市「SIAL2012」において、日本初の青果ゆず輸出が実現しました。青果ゆずに初めて触れる海外のバイヤーには、海外には無いゆずの香りが非常に魅力的であり、わずか3tの青果ゆずに約20カ国から引き合いがありました。青果ゆずの輸出をきっかけに果汁や果皮についても需要が急増し、青果ゆずを輸出した2012年には、すでに村の生産量の3割を輸出するまでになりました。

 

 

■シンガポールでの販路開拓

フランス以外では、これまでの販路であったアメリカ等への販売拡大に努めるとともに、高知県の海外事務所である高知県シンガポール事務所の強力な支援をいただきながら新たな販路を開拓していきました。

まずは2010年4月に開催された食品見本市「FHA2010」に、高知県が県産ゆずの販路開拓のためにゆずに特化したブースを設置し、そこに北川村も出展しました。そこでシンガポールの大手飲料メーカーとの商談が始まり、北川村産ゆずを使用した飲料の発売に繋がります。そして、2013年11月には尾﨑高知県知事にメーカーに対してトップセールスを行っていただきました。知事のトップセールスをきっかけに、その後のメーカーと北川村の生産者や関係者の交流に繋がり、現在も継続して関係強化に努めています。

また、「FHA2010」をきっかけにシンガポールの有名シェフであるジャニス・ウォン氏をご紹介いただき、2012年11月にはジャニス氏を北川村へ招聘して収穫等を行っていただくなど、生のゆずに実際に触れていただきました。2013年1月には、フランスでも販路開拓のきっかけとなりました「高知県産ゆず賞味会」をジャニス氏の協力により開催し、その後の販売の拡大に繋げていきました。

こういった取り組みにより、大手飲料メーカーによる大規模な広告戦略とジャニス氏の活動に繋がり、一過性のものではなくシンガポールでゆずが定着していきました。

 

 

■今後の課題と展開

村や関係者による輸出への取り組みにより、多くの困難を乗り越えながら順調に輸出数量は増加してきました。しかし、EUをはじめとする多くの国では、日本と比較して残留農薬基準が非常に厳しく、慣行栽培で出荷したゆずは輸出できません。そのため、JAでは無農薬栽培のゆずのみを搾汁するなど、輸出用果汁の確保に努めていますが、北川村だけでその需要に応えることは困難であり、他産地から輸出用のゆずを確保することも増えてきました。

海外だけではなく国内需要への波及効果も表れ、生産者への加工用ゆずの清算単価は2016年時点で2009年の1.6倍まで増加しました。これにより生産者の所得向上に一定の成果が出ましたが、今後重要になってくるのは産地としての力をより向上させることです。そのためには、高値で取り引きされる高品質の青果ゆずを作ることのできる若手農家の育成が急務です。海外用の無農薬原料の確保と、生活できる収入を確保するための慣行栽培の推進という相反する課題に向きあいながら、生産者それぞれの置かれた状況に寄り添い、施策を打ち出しています。

北川村のゆずは、取り組みから数年で25カ国以上に輸出を拡大することとなり、他産地のゆずも追随して輸出に取り組む等、今も広がりを見せています。産地の力をこれからも維持、向上していくために、国内外の需要を見極めて様々な販路を確保し、今後もゆず輸出のトップランナーとして挑戦を続けていきます。

 

北川村内事業者から輸出されたゆず果汁の産地別数量の推移

 

(北川村産業課 大坪 崇)

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Categories:中国・四国 | 海外販路開拓

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