事例紹介

「キャッスルステイ(城泊)」究極の高付加価値旅行で観光客を取り込め! ~お城を活かす観光戦略と市民の想い~(愛媛県大洲市)

取材先:大洲市環境商工部観光まちづくり課

一般社団法人キタ・マネジメント

 

はじめに ――大洲市・肱南(こうなん)地区の挑戦――

 近年、観光資源の活用による地方創生が注目されている中で、愛媛県大洲市における肱南地区のまちづくりは、特筆すべき先進的な事例である。かつて町並みの保存と活用に苦しんでいたこの地域は、市民の想いと行政、民間、DMO(観光地域づくり法人)等の連携によって、大きな変貌を遂げた。特に、市民にとって象徴的な歴史的建造物である「大洲城」を活用した「キャッスルステイ(城泊)」の取り組みは、観光まちづくりの中核となり、全国的にも注目を集めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.歴史的景観の存続危機と再生の兆し

 大洲市肱南地区は、肱川(ひじかわ)の南に位置しており、鎌倉時代から続く由緒ある城下町である。江戸時代に行われた藤堂高虎による町割りにより、第二次世界大戦の戦災をも逃れ、現在に至るまでその姿を残してきたが、近年は少子高齢化とともに、歴史的建造物である町家・古民家の所有者が市外・県外に流出した。その結果、維持管理が困難となり、町家・古民家の老朽化が著しく、町並みの消失が現実味を帯びてきていた。

 そのような状況下、全国的には町家・古民家を活用したリノベーションによる町の活性化の事例が出始めてきたことや、インバウンド需要の高まりもあり、大洲市でも観光まちづくりの推進を模索する動きが出ていた。2017年、大洲市の調査により、肱南地区にある約100棟が歴史的建造物として扱うべき町家・古民家と判明した。しかしながら、それらの中には取り壊しの危機に瀕していたものも多くあり、さらには、町並み保全のための規制や助成のみでは維持管理に限界があることがわかり、民間資金の導入と抜本的なスキーム構築が求められた。

 観光の面においても、大洲市は当時まだ松山市内からの日帰り観光がメインで、地元への還元が小さい観光パターンであったことから、滞在型観光を目指すべきではないかという声が出ていたところでもあった。

 

大洲城から見た肱南地区

 

2.市民の想いが支える町の再生

 大洲市観光まちづくり課職員による発案により、2017年に空き家の清掃を通じ、町家・古民家の解体から歴史的建造物を守るNPO法人「YATSUGI(やつぎ)」が結成された。地域の若者が中心となり、SNSで町家・古民家の「お掃除大作戦」を呼びかけたところ、近隣住民らが参加するようになった。そうした活動が市外・県外に住む所有者に届き、「取り壊しから再生」へと意識の変化を促すこととなった。

 空き家の古民家を活用の可能性を知るために、大正時代のドレスコードを設定し、100年前のかつての賑わいを再現する町家活用イベント「城下のMACHIBITO」が開催され、地域内外から多くの注目を集めた。

 このような、古民家等の所有者との関係づくりから始める清掃活動や町家・古民家等の活用イベントを通じて所有者及び市民の意識を変えていく地道なボランティア活動によって、そうした人々の心を動かしていったと同時に、地域の歴史的価値を可視化することに成功した。これにより、古民家をどうにかしたいが手立てが分からなかった所有者とのマッチングが促進され、町並み再生の第一歩が踏み出された。

 

  

肘南地区の町並み

 

3.行政・民間・住民が響きあうスキームの構築

 肱南地区再生の機運が高まる中で、「観光による再生」を新たなビジョンとした大洲市は、有識者による市内視察・意見交換等を通じて、肱南地区再生事業の方向性を「町全体をホテルにする」モデル(分散型ホテル)とするよう決定した。古民家の本格的な再生については、資金調達や制度面での課題があった。2018年4月に、ホテル運営担当のバリューマネジメント、町並みコンサルティングの一般社団法人ノオト・株式会社NOTE、伊予銀行、大洲市の4者で連携協定を締結し、それぞれの役割分担を明確にした。大洲市は①補助制度の整備、②観光まちづくり戦略推進事業を担う地域DMOの設立、③肱南地区再生のスキーム構築を担うこととなった。

 ①補助制度の整備においては、補助金5億円(市と国で折半)と、民間からの資金5億円の計10億円を古民家等の改修に充てることとした。

 ②観光及びまちづくりの事業推進を担う目的で、県内初の地域DMOとなる一般社団法人キタ・マネジメントを設立し、市職員を出向させた。

 ③肱南地区再生のスキームの構築では、住民団体「YATSUGI」が古民家等所有者との橋渡し役となり、地域DMOキタ・マネジメントの関連会社である㈱KITAが町家を改修し、改修後はホテルや店舗として15年のサブリース(転貸)をする形を取り、契約満了後には、改修した町家・古民家を所有者に返還することも可能とした。これにより、住民が戻ってくる選択肢を作ることにした。

 このような産官金一体で持続可能な観光地経営を目指す制度設計により、地域における経済循環が実現され、町の景観保全と活性化が両立するモデルが成立し、町並み再生に向けた具体的な動きが加速した。

 

連携協定では明確な役割分担を実施

 

市内に点在する町家・古民家を改修した分散型ホテル

地区内の回遊を促し、周辺の歴史・文化・暮らしを愉しんでもらうことが狙い

 

4.地元に対する市民の意識変容と誇りの醸成

 町家・古民家等の再生過程の中で、町並みのシンボルとして、大洲市が着目したのが「大洲城」である。この城は市民の寄付金をもとに2004年に木造復元されたもので、大洲市のシビックプライドの象徴であった。しかし、大洲市そのものの知名度が低いことを課題とし、関係者が集まりざっくばらんに意見を出し合う「妄想会議」を行ったところ、そこで出た意見の1つが「お城に泊まれたらおもしろい」であった。大洲城の知名度急騰を狙った戦略的アイデアである。

 「キャッスルステイ」構想には、当初は「何をやっているのか分からない」といった空気感や「市民の寄付によって復元された城の濫用」という反発もあったが、市民の理解を得るため、市は数十回にわたる説明会を実施。丁寧な情報発信やイベント等を通じて理解と協力が得られ、共感が拡大していった。

 

当初は市が主導して推進(大洲市役所)

 

5.全国初の「キャッスルステイ」という挑戦

◇ 象徴的プロジェクトのスタートに至るまで

「お城に泊まる」というユニークな構想は、知名度の低い大洲を一躍全国区に押し上げる象徴的プロジェクトとして立ち上がった。欧米豪の富裕層をターゲットとし、宿泊価格もインパクトのある1泊100万円(2025年8月現在は120万円(税抜))とした。宿泊には、歴史体験と地域の文化体験を踏まえ、地域の無形民俗文化財「藤縄神楽」や大洲城復元10周年を迎えた際に結成された「大洲藩鉄砲隊」も演舞として組み込まれることとなった。

 城を宿泊施設として使用することについて、大洲城の天守が市民の寄付によって復元されたものであるため、重要文化財ではないことが功を奏した(ただし、櫓は国の重要文化財)。さらに、国としても文化財を「守るもの」から「活用するもの」に舵を切っていたということも取り組みを後押しした。

 取り組みが後押しされたとはいえ、城内には水道はなく、火気厳禁であることに変わりはない。水回りについては、天守のそばにトイレカーを横付けしてトイレを確保。風呂は城を眺めながら入浴できるよう、周辺敷地にコンテナハウスを設置して対応した。加えて、調理が必要な食事の提供については、城の周囲でキッチンカーを使用するなどで対応した。

 様々な課題をクリアしていき、2020年7月にキャッスルステイが誕生。この取り組みは歴史的資源を後世に残していく手法として、従前は保全及び見学だけであったものが、城の活用という形でも後世に残していくことができるということを全国に向けて提案したものでもある。

 なお、このキャッスルステイは、コロナ禍真っ只中でのスタートとなったわけだが、これはとにかく「日本で最初に」世に送り出すことを意識した結果という。そのため、元々のターゲットは欧米豪の富裕層であったが、コロナ禍で海外の旅行客が日本に来ることができない時期であったため、最初の宿泊者は大洲市の「取り組みに共感した」県外の日本人であったという。

 

◇ 地域一体でつくるキャッスルステイと地元還元による好循環

 宿泊客の入城(チェックイン)の際には、250年以上もの間、大洲を治めた加藤家初代藩主、加藤貞泰が1617年に米子藩から大洲藩へ移封し、大洲城へ入城するシーンを再現する。地元住民やボランティアが甲冑を着て、家臣などの演者として参加し、法螺貝を吹くのは吹奏楽部の地元高校生。まさに市民一体となった演出がなされている。

 収益は市が管理する文化財の保全管理費にも充てられ、市の財政負担軽減にも一役かっている。それ以外にも、藤縄神楽等の地域文化の保護などに活用し、地域へ還元。神楽の保存会曰く、以前は年数回だった演舞の場が増えたことにより、演者のやりがい向上・神楽の内外への発信・後世への伝承の面で好循環が生まれたという。

 

 

6.観光起爆剤としての機能と多様な宿泊形態の提供

 このような、歴史的資源を活用した町並みの景観保全と産官金連携での持続可能なまちづくりの取り組みが高い評価を得て、2024年9月「世界の持続可能な観光地アワード」のシルバーアワードほか数多くの国際的な賞を受賞した。

 肱南地区では、古民家等の改修棟数は32棟にのぼり、改修により新たにできたホテル客室数は31室、店舗数28店(うち市補助:12店)と、目に見える成果が生まれている。また、通算で30億円超の経済効果を生み、雇用や移住者の増加にもつながっている。この結果、2024年度のインバウンド来訪者はコロナ前(2019年度)と比べ5.5倍超。インバウンド宿泊者は約2.4倍(同時期比)となった。なお、インバウンド宿泊者数のうち最も多いのが台湾からで、ターゲットとしている欧米豪は4割程となっているが、概ね狙いどおりの集客となっている。

 これは、キャッスルステイが大洲観光の広告塔として、国内外から多くの観光客を呼び込みながらも、高額で城には泊まれない観光客層の受け皿として、古民家を改装したホテルが機能した結果であり、市内の多様な価格帯の宿泊施設に利用への波及効果を生み出した戦略性の高さがもたらしている。

 ・超高額帯:キャッスルステイ

 ・高 額 帯:町家・古民家を改修した市内に点在する分散型ホテル

 ・中低額帯:既存の旅館・ホテル等

 

 

 

 

7.今後の課題と展望

 市内の再開発が進む一方で、キャッスルステイの朝食会場になっており、国の重要文化財にも指定されている「臥龍山荘」では、オーバーツーリズムの兆候も見え始めている。通行者の増加による苔の剥がれや立入禁止区域への侵入、駐車場不足などへの対応を迫られている。また、石畳が敷かれている肱南地区を通行する車両の増加に伴い、石畳が一部破損している箇所も見受けられる。現状では観光の中心が肱南地区に集中しており、再開発が遅れている肱北地区への波及も今後の課題である一方で、肱南地区の高価格帯宿泊施設と肱北地区の既存施設を組み合わせることで、旅行者にとって価格帯の選択肢を広げることができるという点では、混雑しなくとも観光客の受入を進められる可能性があるとも言える。

 さらに、平日の宿泊需要をいかに喚起するかという点や、高価格帯の事業展開により地元住民が普段使いしにくい店舗が多くなってきたなど、市民の日常生活と観光の調和をどのように図っていくかという課題もある。

 今後は、観光と生活のバランスに加え、持続的な成功を維持するための地域経済及び次世代の担い手への再投資が不可欠であり、それらが大洲市のさらなる持続的発展の鍵となるかもしれない。

 

       苔が剥がれた通路(臥龍山荘)         大洲市内を流れる肱川の様子(大洲城から)

 

おわりに

 キャッスルステイを核とした大洲市・肱南地区の観光まちづくり戦略は「保存から活用へ」シフト及び「行政主導ではなく、市民・民間との協働」を意識した先駆的なモデルケースといえる。観光の枠を超え、文化の保全・継承にもつながる意義深いこの取り組みは、高級宿泊体験を超えた、「町の誇り」を次世代へ繋ぐものであり、同時に単なる観光資源の消費ではなく、「地域に根ざし、住民とともに価値を創り上げていく」姿勢が貫かれており、そこには「城を守るだけでなく、未来へ活かす」という町としての行動と想いがあった。

 地域の魅力を再発見し、市民を巻き込み、持続可能な観光都市を目指すこの取り組みは、観光が地域の未来を切り拓く可能性を示すとともに、過疎化が進む全国の地方都市においても、知恵と工夫、そして市民の想いによって魅力ある町づくりが可能であることを示しており、地域共創型観光の好事例そのものであるといえる。

 

 

 

経済交流課 主査 穴田(徳島県派遣)

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