インバウンドが継続的に成功しているエリアは、まちづくりが上手い場所が多い。北海道の北部にある人口約3,400人の町は、豊富な森林資源を活かした持続可能な社会を目指していて、森の豊かさを伝えるインバウンドを始めようとしている。この取組みはまだ始まったばかりなので、結果には現れていないものの、期待できる地域だ。その背景を紹介する。
ポイント:
・地元の資源、森林をインバウンドのテーマに据える
・移住者の力を取り込む土壌が人口増加にもつながった
・名寄市との連携でのインバウンドの取り組みもスタート
■北海道の片隅に、優秀な人材が全国から移住してくる
北海道の旭川から北上して70kmほど行ったところに下川町がある。持続可能なまちづくりに取り組んでいる町で、2017年12月には国から第一回「ジャパンSDGsアワード」(※1)も受賞した。近年、札幌等、都市部は人口が増えているものの、旭川等の北海道北部は、年々人口が減少(※2)している。そんな中で、下川町で社会動態(転入者と転出数の差し引き数)が増加しているのは、独自のまちづくり戦略が功を奏しているからだろう。下川町では豊富な森林資源を活かした地方創生を目指している。
※1:国連が2015年に採択した持続可能な開発目標。2030年までに17の目標を推進する。その日本でのアワードとして、昨年、公募があった。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sdgs/japan_sdgs_award_dai1/koubo.html
※2:2017年の北海道上川管内の社会動態(北海道新聞社調べ)は、旭川市がマイナス830人、名寄市がマイナス228人、富良野市がマイナス198人と、23市町村のうち18市町村がマイナスで、5つのプラスのうち、下川町は上位2番目の28人の増加だ。
2年前に隣接する名寄市からの声がけで下川町のインバウンドへの取組も始まった。名寄市では、2014年に台湾の教育旅行の受け入れを始めた。カリキュラムには地元の高校との交流が含まれていたが、市内には2つしかないため、受入れに対応しきれないで困っていた。そこで2015年12月、名寄市は近隣の美深町と下川町と連携して実施した台湾の教員向け視察ツアーで下川町を訪問した。下川町では森の中のウォーキング、木工品づくり、森の精油づくり等、地域の資源である森に関連した体験を提案した。
この教育旅行での森林体験は、下川町以外の大勢の移住者たちも関わっている。「下川町は、地域の課題を開示し、町外の方々の知恵も借りて持続可能な社会を目指そうとしている」と、下川町産業振興活性化支援機構の長田さんは言う。つまり、移住者の意見を聞き、大切にしようというスタンスだ。移住者と地元の人が集う「タノシモカフェ」というイベントの開催などのサポート体制を整えることで、その結果移住者たちが定着し、さらに積極的に活動をしている。例えば、彼らに起業の支援もしていて、ビジネスプランや人脈づくりのサポート、さらに資金調達なども同機構の構成メンバーが協力して支援している。地域おこし協力隊で下川町に入った人は、他の自治体に比べれば高い割合で下川町に暮らしているそうだ。
また、グローバルな人材が集まっているのも特徴で、まちづくりを担っている前出の長田さんはドイツ生まれの帰国子女で、大手デベロッパーの出身だ。同機構の広報担当者は、東京でライター・編集者として働いていたが、下川町の活動を知り、応募してきたという。
インターンの女性も帰国子女で、大学を休学して参加していた。
「国際援助に興味があって留学していましたが、大学に戻った後すぐに下川町に来ました。ちょうど、地域開発をできるところがないか探していた際に、下川町を知ったのです。町の課題を私のような町外の人と一緒に解決していきたいという姿勢にやる気がわいて、引き寄せられました。」とインターン生は言う。「国際的な視点に立ち、いろいろな施策を進めたいです。」と抱負を語っていた。
■町の中核メンバーが若者のまちづくりを後押し!
もともと下川町は鉱山の町で、労働者等の外部の人間を受け入れやすい土壌がある。さらに鉱山廃坑後、まちづくりが積極的になったという。30数年前、当時の若者が地元の未来に危機感を抱き、町外から人を呼び込もうと立ち上がったのが始まりだ。
当時の下川町の状況は、1970年代の国策や産業構造の変化に伴う基幹産業の衰退が重なり、人口が急激に減少。1980年の国勢調査で人口減少率が北海道で1位、全国で4位を記録したほどだ。さらに、1983年に下川銅山、1986年に珊瑠(サンル)金山がともに休山し、1989年にはJR名寄本線も廃止となった。わずか10数年で、急速に過疎化が進んだのだ。
当時の若者たちは農地を造成したときに出た不要な石を活用し、石積みを体験できる「万里長城」の築城を1986年にスタート。延べ13万人を超える人々が参加し、2000年に全長2,000mの万里長城を完成させた。
また万里長城プロジェクトが始まった年の冬、寒さを逆手にとり、バケツに張った水を凍らせて作るアイスキャンドルを発案。その後、下川町では冬祭りの主役となり、今では北海道の冬の風物詩となっている。
このようにして、まちおこしに携わっていた若者たちが、今は町の中核メンバーとなって行政や民間で働いており、次のまちづくり担う若手をバックアップし、彼らのやりたいことを促進するための人脈やアイディア等を提供している。
■森林資源はまちづくりの核となり、観光にも活用!
現在の下川町の政策は、半世紀にわたって築いてきた森林共生型社会をベースに、3つの柱を掲げている。それは、「森林総合産業の創造」、「エネルギーの自給」、「超高齢化対応」への対応だ。
豊かな森林環境に囲まれ収入を得て、森林で学び、遊び、心身の健康を養い、木に包まれた心豊かな生活をおくることのできるまち、『森林未来都市』を目指している。
また、町内だけで完結せずに、外部から移住者等の人材を引き込み、多くの人と連携して課題解決に向かおうとしている。
NPOしもかわ観光協会では、森林資源を観光に活かそうとしている。
例えば、2017年6月に下川町では、台北の太平洋崇光百貨(遠東SOGO)で開催した日本工芸展にブース出展して、下川町在住の工芸作家の作品を並べ販売したが、その作家たちはすべて移住者で、材料はすべて下川町の材木を使用している。
さらに下川町の観光情報を案内するためNPOしもかわ観光協会の事務局長自らも同行するなど他のブースとの力の入れ方の違いをアピールした。また、中国語のパンフレットを配布して、豊かな森を訴求ポイントに地域をアピールした。北海道に行ったことがある人には反応がよく、次回の北海道旅行の参考になると喜ばれた。
ところで、2018年度のインバウンドの方針としては、北海道大学の英語、中国語、タイ語を母国語とする留学生たちと連携し、3回にわたって下川町の森を生かした魅力を体験してもらい、SNSや海外レビューサイトで情報を発信してもらおうと企画中だ。まずは近隣の外国人に知ってもらうことに訴求ポイントを置いたと、同観光協会の高松事務局長は意気込む。
どのように飛躍するのか、楽しみだ。
取材:やまとごころjp
(インバウンド業界のポータルサイト)
http://www.yamatogokoro.jp/